就活失敗した俺の話を聞いてくれ

「就活やめるのもありかもしれない」「いや就活やらないなんて終わってんだろ」人それぞれ思うことはあるかもしれない。その「思う」という行為をさせることができれば、自分としては書いてよかったと思える。

かつて就活に苦しんでいた人が社会人になって就活を振り返ってみる

私の就活はうまくいかなかった。まあこのブログのタイトルを見れば明らかなことだ。

 

でもそれは就活というその期間だけ。就職後はほどほどにうまくいっているんじゃないかな。

 

今の会社は完璧ではないが悪くはないと思う。給料も支払われるし、古臭いところはあれど結構自由だし、自分のような新人でも話を聞いてくれるし、コロナ禍でリモートだし。

 

就活についてというか、就活が苦手な人にとって「これだ!」という対策は一つしかないと思っていて、それはとにかく会社に行きまくるだけなんだと思う。

 

もちろん中には素早く内定を決めて就活を終わらせる人もいる。そういう人は人当たりが良いとか、自分のプロモーションがうまいとか、自分に合った会社を適切に選ぶのがうまいとか、いろいろとプラスなポイントがあるんだろう。

 

私にはそういうものがなくて、ただ好きなことが気になってその都度好きなことを調べるだけの人間だった。就活セミナーなどにも行ってもピンとこなくて、とりあえずやっている感だけを味わっていた。

 

ここで言う「ピンとこない」というのは、自分にとって良い会社に出会って、さらにそこに就職するまでの道筋が何も思い浮かばなかったということだ。

 

どこに行っても最後まで通る気がしなかった。

 

私は人の考えていることを読むのは苦手だから、話が弾んだと思って何度も落ちて頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになっていた。

 

ただ、今思えば、内定が決まったところ以外は話が噛み合っていなかったように思う。当時は「話し方がよくなかったかな」とか「話した内容がよくなかったかな」とか思っていたけど、それ以上にただただ気まずい空気になっていた。

 

多くの人はこうした気まずい空気というのをその場で実感して即座に修正対応に移れるのかもしれないが、中にはそれがわからず、置かれた数々の地雷を丁寧に一つずつ念入りに踏んでいく人もいる。

 

しかも酷いことに、地雷を踏んだことに気づかないまま、意気揚々と会社を後にする。

 

まあそんな私でも内定が取れる時は取れるもの。ある会社にとっては地雷でも別の会社にとっては地雷どころか大歓迎かもしれない。本当にそういうものなんだと今では思う。

 

就活というか対人スキルが高い人って、この地雷探知機が優れているのかなと。だからどの会社でもうまいこと地雷をかわしていく。

 

でも地雷探知機がなくても、数を重ねれば地雷を置いていない会社に出会うことがある。うまいことツボにハマって、今までの失敗が嘘のようにトントン拍子で進むこともある。

 

こういうのがいわゆる縁なんだと思う。その縁でつかんだ会社がめちゃくちゃ良いものとは限らないけど、地雷探知機のない人にとっては今までに受けたどの会社よりも良いものだと思う。

 

だって地雷探知機が壊れている人がそのまま突っ込んで地雷を踏まなかったんだから。素のまま行って無事ならその後もどうにかなります。

 

今は特にコロナ禍で就活も大変だと新聞などで耳にするけど、逆にリモートで色々な会社を見ることができるチャンスだと思って、無理しない程度に頑張ってみてほしい(交通費もかからない、移動時間もかからない、興味のない会社なら途中で別のことをやってもバレない。良いですね)。

 

とにかくたくさん会社を見ること。

 

そして私はやっちゃいましたが、就職浪人はしないこと。できるだけ早く働いた方が少ないなりにお金が稼げます。誤差の範囲かもしれないけど口座にお金が貯まっていく感じが楽しいですよ。

 

それとこれは個人的な後悔なんだけど、就職浪人しなければ祖父が亡くなる前に、働いているっぽい自分を見せられたんだろうなと思う。

 

まあたぶん祖父はそんな姿を見ても、特に何も言わないかな。そんな性格だ。

 

冥土の土産にもならなかったとは思うけど、それは私自身の満足のためにやりたかったことなのかもしれない。

唐突に思い出したことがある

以前書いた中学生の頃好きだった子の話だ。

 

zuruzurukun.hatenablog.com

 
この前酒を飲んでベロベロに酔っ払って記憶を飛ばしたのだが、その時一緒にいた友人に、中学生の頃好きだった子のことを話したようだ。

何とも恥ずかしい話である。

自分としては話したことを一切覚えていないのだが、友人の話に出てくる女の子が好きだった子と全く同じようなのでやはり自分は話したのだ。

そんなことがあって、また今日もふと彼女を思い出してしまった。

彼女は吹奏楽部に所属していた。

吹奏楽部は大体2人組くらいで同じ楽器の人と練習するのだが、彼女の練習場所が自分の所属するクラスだった。

自分は外の部活だったので本当は外に行くべきなのだが、当時の友人2人とサボって教室でダラダラしていた。

やる気のない人間だった。

結構な頻度でサボり、教室に居座っていた。

よくないことではあると思う。でも彼女のフルートを聴きながらダラダラしているのは、今思うと青春そのもので最高だった。

自分には青春なんてないと思っていたが、青春というのは時を経てからわかるものなのだ。

またあの頃に戻りたいな〜と思うけど、過去ばかり見ていても仕方がないので今日もサイトを育てる。

就活でダメになりそうな人へ

説明会に参加したり、セミナーに行ったり、業界や企業の研究、キャリアセンターへの相談もしたが私の就活はうまくいかなかった。

 

大手から内定をもらっていた友達にグループディスカッションや面接のやり方をマンツーマンで教わったりもした。おかげさまでグループディスカッションは通過したが、面接がダメだった。

 

自分は就活という市場において非常に価値の低い人間だと思わざるを得ない。

 

だから就留をしながらも、就活に失敗しても食っていけるように複数のサイトの運営を始めた。

 

未だに結果は出ていないものの基礎の部分は出来上がった。どんどん修正を加え完成度を高めていく予定だ。

 

個人的な意見だが、どうしてもダメなら別の選択肢を考えるのも良いと思う。

 

就活で潰れないでほしい。自己分析して自分というのを面接で表現してそれを否定された時、自分を否定されたように感じる。

 

でも潰れないでほしい。その否定は就活という切り口からの否定にすぎない。あなた自身の否定ではないのだ。

 

別の視点から見たらいくらでも価値のある人間だ。それを忘れないでほしい。

 

いくらでも選択肢があって、たまたまその中の1つの選択肢がダメだったというだけ。

 

ちゃんと見渡せば選択肢は限りなく存在する。それを忘れず、自分を追い詰めすぎないようにしよう。

 

あなたは無価値ではない。

おもしろくないと思ってしまうと全然できない

自分は偏りがあるというか、おもしろいと思ったこととか、やりたいと思ったことについてはバリバリやれるんだけど、興味がないこととか飽きてしまったことに関しては極端にできない。


例えば授業でテストが2回あって、1回目は対策したりするのが楽しかったので物凄いやって満点近く取ったけど、2回目は飽きてしまって30点くらいで良いかなという感じになってしまう。


大学に入って楽しい授業はあったし、そういう授業では、授業中に紹介された文献に目を通した上で、直接先生にアポを取って、授業をより深く勉強するためのおすすめの文献を読み、更に自分の意見を聞いてもらってアドバイスを受けたりもしていた。


大学の先生の良いところはどんなに稚拙な意見でもちゃんと受け止めてくれるし、それに反応してくれる。そこが本当に素晴らしいと思う。学生がお金払っているからなのかなと思わなくもないけど、でもしっかり対応してくれるのが嬉しかった。


とはいえそんな感じで気になったことが解決してしまうとダレてしまう。


ずっとそんな感じで生きてきた。


今ハマっていることもそのうち飽きてしまうかもしれない。


日本トップクラスになったゲームもいつの間にか飽きてしまったし、結局自分はいつもそうだ。


でもまあ今回書いたような「おもしろいことにのめり込み、つまらないことはやらないなんて姿勢」皆そんなもんじゃないかと思うようになってきた。


「何を当たり前のことを言っているんだ」と。そういう声が聞こえてきそうだ。


いやーやっぱり巷に「自分おもしろいことならやれるんですけど、つまらないことになると無理なんすよね〜」みたいなやついっぱいいる気がするからね。

過去の慣習の力が弱まってきたんじゃないかという妄想

祖父のお通夜や葬式なんかで、親戚に会った時によく言われたのが「彼女はいないのか?」とか「結婚はどうする?」「女の子に興味はないの?」といったことである。

 

どうやら自分くらいの年齢になったら結婚について考えなければならないようだ。小さい頃は性というとタブーのように扱われているのに、突然タブーではなくなりむしろ積極的に突っ込まなければならない。

 

性的特異点とでも言うんだろうか。

 

まあそれは置いとくとして、人はいつ始まったのかもわからない過去の慣習(場合によっては過去の慣習っぽいだけで実はそうでもないもの)によって人生を決めていかないといけないという強迫観念に駆られがちな気がする。特に昔の人ほどそういう傾向があるような。

 

でもそういう過去の慣習に刃向かうように、流れが変わることがある。

 

例えば、最近では結婚しない人が増えてきた。

 

http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/data/mikonritsu.html

 

資料によると、やはり婚姻率は減少傾向だ。ここには経済的な理由もあるだろうし、あるいは昔が高すぎたってこともあるかもしれない。

 

「今後のお金のことなんて考えていたら結婚して子育てするなんて無茶だよ」というのはよく耳にする言葉だ。

 

一方で、そんな経済的な理由など一切目もくれず結婚してバンバン子供を産んでいく家庭もある。不思議な差だ。

 

結婚しない人達は「自分が望む教育をさせられるだけの教育費が足りないから」「自分のキャリアアップを優先したい」などの理由もあって結婚しないんだろう。こういう人達も一定数、自分のように「いつ結婚しないの?」という親戚からのプレッシャー(過去の慣習によるプレッシャー)を受けていると思う。それでも結婚しない。

 

また結婚する人達も過去の慣習に従って結婚していくという感じもしない。むしろ「勢いで」と言ったら失礼かもしれないが、「純粋に気に入ったし結婚生活おもしろそうだから結婚しちゃう?」的なノリのような気がする。過去の慣習なんかよりもノリで。

 

結婚するにせよしないにせよ、過去の慣習の力は弱まりつつあるんじゃないだろうか。

 

もしこの過去の慣習の力が弱まりつつあるのが本当だったとしたら、そしてこの力が様々なところで弱まっているのだとしたら、未来はどうなるんだろう。慣習のない世界は常にアップデートされ続ける、ずっと新しい世界なのか。あるいはノリで生きる世界なのか。

辞めるとか捨てるとかについて

以前、断捨離が流行ったことがある。それだけブームになるんだから、多くの人が物が捨てられなくて困っていたのだろう。

 

というのは、皆が簡単に物を捨てていたら、断捨離なんてものが開発されたって「え? そんなの当たり前でしょ? 普段から捨てているから何も溜まっていないけど」で終わってしまうから。

 

まあそんなこんなで断捨離が流行ったわけだけど、日本人(外国人は知らない)は結構物を捨てたりとか、何かを辞めるというのが苦手なんじゃないかと思う。

 

例えば、会社だって転職という選択肢がありながら、やはりずっと働くことを望む人が多い。それは待遇などが悪くなるからそのままいた方が良いということなんだろうか。

 

会社でなくても学校なんかで部活を始め、卒業するまでずっと同じ部活を続ける。別に途中で辞めても良いと思うし、他の部活がおもしろそうなら一旦今いる部活を辞めてそっちに入っても良さそうだ。

 

でも多くの人はそんなことはしない。

 

なぜやらないのか。捨てるとか辞めるとかって体力がいることだからかも。

 

捨てる時「本当に捨てても大丈夫だろうか?」「後で使うことないかな?」などいろいろ思い悩んでしまう。

 

辞める時「辞めたら人に何か言われないかな?」みたいなことを想像してしまう。

 

なんだかんだ体力を使うから億劫になる。今の状況を我慢している方が楽だ、そういうふうに思うのかも。

 

でも捨てたり辞めたりする瞬間に体力を使うとしても、その後は体力を消費しない。

 

捨てたり辞めたりするよりも我慢する方が疲れなさそうだと思うかもしれないけど、地味な体力の消費が我慢によって続くのなら捨てたりやめたりした方が良いと自分は思う。

 

ちょっと面倒でも捨てたり辞めたりするのが大事なんじゃないだろうか。体力だけでなく時間などの新たな資源の確保のために、辞めること、捨てることについて検討してみよう。

辛い時こそ自分が持っているものを思い出してほしい

人間はいろいろなものを欲しがる傾向がある。本とか食べ物みたいな現実に存在するものだったり、映画などの娯楽、彼氏彼女、結婚相手、名誉、お金など。就活生だったら内定だろうか。

 

そんな感じで皆何かを欲しがる。それで獲得しようと思って行動する。

 

けど皆が皆、欲しいものを得られるとは限らない。彼氏彼女にフラれることもあるだろう。自分みたいに全然内定がもらえない人間もいるだろう。

 

欲しいものが得られないと苦しくなる。「どうして自分は手に入れられないんだ」と。

 

最初の何回かは我慢して行動し続けられる。でも何度やっても手に入れられないと心が折れる

 

その時、「自分は欲しいものを手に入れられなかった人間だ。ダメな人間だなあ。何も持っていない」と錯覚することはないだろうか。

 

他の人はどうなのかわからないが、自分にはそうなることがあった。

 

でもそういう時こそ、自分が持っているものを思い出してほしい。

 

一緒にビジネスをやる友達、酒飲みに行ってベラベラ話せる友達、それなりに記事が書ける能力、教えるのが好き、やりたいこと。

 

確認してみると、自分の持ち物は案外たくさんあったりする。欲しいものが得られなくても、もう既に持っているものはある。

 

確かに既に持っているものは、欲しいものとは全く別物かもしれないが、でも既に持っているものだって他の何かに取って代わることはできないだろう。

 

それだけ貴重なものを既に持っているという事実を再認識してほしい。

 

それに欲しいものが手に入らなかったとしても、何かを失うわけではない。持ち物は減らない。

 

だからあまり悲観しないこと。むしろ自分の持ち物を再確認できるチャンスだ。

 

もう結構良いものを持っているんだから、その持ち物を失くさないようにしよう。