就活失敗した俺の話を聞いてくれ

「就活やめるのもありかもしれない」「いや就活やらないなんて終わってんだろ」人それぞれ思うことはあるかもしれない。その「思う」という行為をさせることができれば、自分としては書いてよかったと思える。

過去の慣習の力が弱まってきたんじゃないかという妄想

祖父のお通夜や葬式なんかで、親戚に会った時によく言われたのが「彼女はいないのか?」とか「結婚はどうする?」「女の子に興味はないの?」といったことである。

 

どうやら自分くらいの年齢になったら結婚について考えなければならないようだ。小さい頃は性というとタブーのように扱われているのに、突然タブーではなくなりむしろ積極的に突っ込まなければならない。

 

性的特異点とでも言うんだろうか。

 

まあそれは置いとくとして、人はいつ始まったのかもわからない過去の慣習(場合によっては過去の慣習っぽいだけで実はそうでもないもの)によって人生を決めていかないといけないという強迫観念に駆られがちな気がする。特に昔の人ほどそういう傾向があるような。

 

でもそういう過去の慣習に刃向かうように、流れが変わることがある。

 

例えば、最近では結婚しない人が増えてきた。

 

http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/data/mikonritsu.html

 

資料によると、やはり婚姻率は減少傾向だ。ここには経済的な理由もあるだろうし、あるいは昔が高すぎたってこともあるかもしれない。

 

「今後のお金のことなんて考えていたら結婚して子育てするなんて無茶だよ」というのはよく耳にする言葉だ。

 

一方で、そんな経済的な理由など一切目もくれず結婚してバンバン子供を産んでいく家庭もある。不思議な差だ。

 

結婚しない人達は「自分が望む教育をさせられるだけの教育費が足りないから」「自分のキャリアアップを優先したい」などの理由もあって結婚しないんだろう。こういう人達も一定数、自分のように「いつ結婚しないの?」という親戚からのプレッシャー(過去の慣習によるプレッシャー)を受けていると思う。それでも結婚しない。

 

また結婚する人達も過去の慣習に従って結婚していくという感じもしない。むしろ「勢いで」と言ったら失礼かもしれないが、「純粋に気に入ったし結婚生活おもしろそうだから結婚しちゃう?」的なノリのような気がする。過去の慣習なんかよりもノリで。

 

結婚するにせよしないにせよ、過去の慣習の力は弱まりつつあるんじゃないだろうか。

 

もしこの過去の慣習の力が弱まりつつあるのが本当だったとしたら、そしてこの力が様々なところで弱まっているのだとしたら、未来はどうなるんだろう。慣習のない世界は常にアップデートされ続ける、ずっと新しい世界なのか。あるいはノリで生きる世界なのか。