祖父のお見舞い
今日、入院中の祖父のお見舞いに行ってきた。
随分前から入退院を繰り返していたが、今回の入院では結構な山場を迎えている。もしかしたらもう退院することもないかもしれない。医者の説明だとそんな感じだ。
「年齢も年齢だから」と思っていた。「80過ぎているんだから仕方ない」と。
でも実際に会ってみると衝撃的だった。
ちょっと前までは滑舌が悪いなりにも聞き取れていた声がもうほとんど聞き取れない。最初の音だけ聞こえたら、あとは息が漏れ出ているだけ。
一応紙に書いてもらってコミュニケーションは取れるものの、書かれている文字は全てカタカナ。
それはボケているからとかではなく、単純に一番楽な書き方なのだろう。
「人って、こんな急速に衰えるんだ」
率直にそう思って、そして自分もいつのまにかそうなるんだろうと思うと、目が潤んでしまった。
元々祖父は膠原病で、それは死ぬ病気ではないが、その病気にかかったことで、精神的に参ってしまったようだった。
外も出歩くことはなくなり、家に引きこもって、家でテレビを見ている生活だった。それでも言葉ははっきりと話していたし、ご飯も一人で食べていたし、家の中で歩き回ったりなどして運動もできていた。
それが10数年くらい続いたと思う。自分としてはよくある老人くらいにしか思っていなかった。
ある日、祖父は家で転んだ。眠れないということから睡眠薬を飲んでいたが、それを飲むと体がフラフラするのだ。
すぐにベッドに行ってしまえばいいものの、家の中で少しうろちょろする癖があった。そんな時に転んでしまった。
最初は何ということはなかったように見えたが、老人は転ぶ度に老いていくのだと思った。祖父はその後も何度か転び(睡眠薬を飲んでいなくても体力の低下により転んでしまう機会が増えてしまった)、体が斜めになってしまった。
もう背筋はまっすぐにならない。
体が斜めっているから、重力によって、顔が片方に寄るようになった。
自分としては「結構衰えたなあ」とは思ったが、「まあそんなもんだろう」くらいにしか受け止めていなかった。
そんな祖父に今日会って驚いたのが、その衰え具合だ。人間は一度衰え始めると、最初は何ともないように見えるが、加速度的に衰えていく。
斜面を下る鉄球のように、最初はそんなに速くないのだ。しかし、その鉄球はどんどん速くなり、もうどうすることもできなくなる。
ちょっと前に入院したばかりで、その時はまだ話せたのに、今はもう死を覚悟している。いや以前から、電卓で余命を計算していたりとかしていたが、本人も現実味を帯びてきていると感じているのだろう。
祖母も参っているようだった。弱る祖父を見て、死が近いことを認識してはいるが、受け入れられないという感じ。
自分に「どうしよう」みたいなことを言ってきたが、どうすることもできない。何かにすがりたくて仕方ないのだ。
しかし、すがってもどうしようもない。受け入れるしかない。自分の中に強い思想を持って戦うしかない。自分はそう伝えた。
宗教も、誰かに頼るのも、それは一つの解決策として有りだと思う。それは個人の自由だ。実際、弱り切った祖父を見て、宗教が広がるのもすごくわかった。
でも自分は精神的なものにおいて、絶対に他のものに頼りたくない。頼ったものが消えるかもしれない、頼ったものが幻想かもしれない、そう思うと頼れない。
自分を強くしてそれで乗り越えたい。周りがどうなろうと自分がいれば、絶対に乗り越えられる、そういう自信と実績を持ちたいのだ。
とは言っても祖母は駄目かもしれない。もしかしたら今度猫を飼うかもしれないから、猫に癒されたら祖母も気持ち的にいい方向に向かっていけるのかなと思う。
弱る祖父を見て、自分が一番強く思ったこと。よく言われることだけど、後悔する人生を送りたくない、ということだった。
自分のやりたいことを突き詰めたい。実現したいことを実現したい。
そのためには体がしっかり動く時に動かなければならない。いいように他人に時間を使われたくないと思った。
あと、最後に祖父が言っていたこと。
「皆仲良くしてね」「ありがとう」「いろいろと任せた」
自分としてはもっと巨大な哲学を語られるものかと思っていた。人生の集大成のような。
でも最期が近くなると出てくる答えは意外とシンプルなのかもしれない。
昔生まれた意味がどうだとか、細かく複雑に考えていた。結局わかったようで、よくわからなかったけども。それは変に難しく考え過ぎていたからかも。
人生はもっとシンプルだ。そんな気がする。
それにしても、いざ面と向かうと言葉が出てこない。何を話すべきなのか、何を話したいのか、わからない。
ただ黙って祖父の言うことを聞くだけでも十分なのだろうか。同じ時間と空間を共有するだけでもいいんだろうか。
結構迷っている。