枠外に突き抜ける勇気だけでは戦えない
友達とやっているネットビジネスについて、親は熱病、バンド、カタギじゃないなどと言った。
また友達は1人でやっていけるが、自分は無理だとも言った。
扶養中の身なのだから、やりたいことは自立してからやれ。
反論できなかった。それもそうだと思ってしまう。
しかし自分としては、友達とのネットビジネスについて楽しそうだ、と思うし、このネットビジネスを成功した先にあるライフスタイルも楽しみ。
そして何よりもこれは下克上だ。
ここが一番おもしろいところ。何も持っていない人間が、一般的に選ばれることのないやり方で逆転する、ってのは刺激的でおもしろいことなんじゃないだろうか。
どのようにして収益が出るのか、マネタイズについて話した。
なぜこのネットビジネスを始めたのか、どうして儲かる可能性があるのか、についても話した。
でも親が納得することはないだろう。
結局結果を出さないことには認められない。当たり前の現実だ。
世の中、若いうちに失敗しておけ、なんて言うが、そもそも失敗することを認められなかったりする。
挑戦さえも許されない。
いや正確には、枠を飛び越えてしまうような挑戦は許されないのだ。
世間とか社会とか親が望む枠の中で挑戦するのなら、それは失敗しても許される。
何かやりたいことがあっても、そのやりたいことをやる時期を間違えると周りから潰されるということを今回知った。
最近思うことがある。
自殺するような人って、「絶対死ぬぞ!」みたいなエネルギッシュな死に方はしないんだろう。
ボーッとして、中身がなくなって、ある時を境にふっとこの世から去っていくんだと思う。自分でも死ぬつもりはなかったんだけど、気づいたら死んでいた、老衰のように息を引き取る。
でも一般人からしてみれば、衝撃的な事実で、どうして死んだのかとか、悲しいとか、いろいろと思い馳せるけど、元々何もなくふらっと散歩するかのように死んでいるのだから、思い馳せても何も見つからない。
とは言っても死ぬつもりはない。私は遅すぎたが、いずれ反逆のチャンスは再びやってくる。
就職やら何やらでどうにか延命して、近い将来、もう一度戦う。その時は今よりももう少し、ノイズのない環境を築いておきたい。
今誰にも文句を言われない自由な時間があるなら、それを無駄にせず、枠外へと突き抜けるために使ってほしい。私みたいに後悔しないように。