作業を繰り返し続ける
今日も作業をしていた。お金を稼ぐためにサイトを作り続けている。
今の自分にはまだ記事を書くことしかできないから、ひたすら記事を書き続け更新している。
とりあえずは80%くらいの完成度でアップして、後日完成度を高めていく予定。そうしないといつまで経ってもアップできないから。
最初から100%を目指すよりも、とりあえずアップして、後から全体を見つつ完成度を高める方が効率が良い。
相変わらず「就活しろ! 就活しろ!」と言われ続けているが、結局自分は作業に夢中になってしまう。
自分はこのやり方で地盤を作り、この地盤を育ててながらそこから得た利益を活用して新たなビジネスを始めたい。
自分にとってはそれが今考えうる理想の生き方。この生き方を実現するために今日も生きている。
それにしても友達と作業している時は生を実感できる。「あー俺やってるなあ」って感じで。
たまに好きだった女の子を思い出す
中学生の頃、すごく可愛い女の子がいた。可愛いのになぜか変顔したり、下ネタを言ったりする不思議な子だった。
1年生の頃、その子とはクラスが違かったが、私のことを「可愛い」と言っていた。少しでも関わりが持てたと私は喜んでいた。
2年生になって、その子と同じクラスになった(3年生になってもクラス替えがないのでそのまま卒業するまで同じクラス)。友達のおかげで、すぐにその子と話す機会が生まれ、仲良くなった。
メールアドレスを交換し、頻繁にメールをしていたと思う。すごく自然なやりとりだった。
途中彼女は好きな人にフラれたり、また別の人に告白されて付き合ったりしていたけど、私はずっとただメールをして、ただ勉強を教えて、大体いつも隣の席の人間だった。
すごく仲良くなって、周りから「付き合っているの?」と言われるほど。でも卒業式を迎えても自分は何もできなかった。
卒業後、二回だけ会ったことがある。一度目は同窓会。髪の毛が長くなって雰囲気が変わっていた。
二度目はたまたま塾の前で。彼女の妹が通っていた塾でばったりと。
でもその二回とも活かせなかった。
卒業後もメールのやりとりはしていたけど、私は私で高校生活が辛くて、ここでもやっぱり人のことを考えられなくて、ちゃんと対応できなかった。
今思うと後悔しかない。
私はよく「タイムマシンで戻ったら、また同じことのやらなきゃいけないんでしょ? それはそれで面倒臭いから戻らないかな。ということは後悔なんてないことになるね」なんて言うけど、戻ってやり直したいと思う。
結局、その子のことを引きずってなのか、未だに恋愛ができていない。
この前、祖父のお通夜で親戚一同にあったが、皆口を揃えて「女の子に興味はないの?」と聞かれた。
違う。私は何度でもあったチャンスを、チャンスと思わずに活かせなかった人間なんだ。ただそれだけ。
彼女への連絡手段は一応あるけどFacebookだ。でも急に連絡するなんて申し訳ない。
ただ一つFacebookを見ていて発見したことがある。彼女の成人式の写真。黒い和服が目に留まった。
その時思い出した。私は二回しか彼女に会っていなかったと思っていたけど、実は成人式の日、帰ろうとした瞬間すれ違った女の子がいた。
「あの子に似ている」と思ったが、でも彼女はその時既に引っ越していた。だから、いるわけないと決めつけていた。
でも彼女だったんだ。すごく綺麗になっていた。それはFacebookの写真だけではなくて、一瞬見た時もそう思った。
向こうは私に気づいてはいないだろう。
もしこれを読んでいる人がいるなら、絶対にチャンスを逃さないでほしい。自分みたいに呪縛から抜けられなくなるかもしれない。頑張れ。
過ぎ去る時間の速さと吐き気
祖父が亡くなった。それからは慌ただしい日が続いた。
お通夜、葬式を執り行い、火葬、あっという間に物事が進んでいく。
現在、祖父は骨壷として家に置かれている。祖父の死を現実として受け入れられたのか、あるいは受け入れられていないのか、自分でもよくわかっていない。
今はあまり他のことを考えられない。自分のことで手一杯だ。
今後どうしていくのか、そればかりが頭の中でぐるぐるしている。抜け出せなさそうな、そんな気がする。
自分は友人とおもしろいことをやって、お金を稼ぎたい、そういう目標はある。でも結果も出ていないし、説得力がない。
甘い。と言われたら反論できない。その情けなさにがっかりする。
それでも自分はこのチャンスを逃したくないと思う。
ここには就活をしたくないという気持ちもあって、それでまた甘いと言われるんだろうけど、正直やっていられない。吐き気しかない。なぜ自分の苦手なフィールドで戦わなきゃいけないんだろう? 一度負けて、その後戦い方が未だにわからないのにどうしてまた戦わなきゃいけないんだろう?
自分が戦いやすそうなフィールドが世間とズレているというだけで、そこに進めないのはなぜなんだろう?
とはいえ自分も悪いんだと思う。早く結果を出そうとしなかった。説得力がなかった。言うほどちゃんとやっているのか。
でも、そうは言っても、その方向でやっていきたい。
この前、圧迫っぽい面接を受けた。ガチャガチャ言われた。「あなたのことを思って言っているんですよ」みたいな姿勢だったけど、いらない。
今あったばかりのあなたに、一体私の何がわかるんだろう? その決まり切った書式の履歴書、前回の面接シートをまじまじと見ただけで私を理解した気にならないでほしい。
その面接以来、吐き気が続く。
時間が進むのが早い。もうそろそろ祖父の四十九日。
祖父は最期に「頼んだぞ」と言った。「何を?」と聞き返したら、「いろいろと」と返ってきた。
申し訳ないが具体的に言ってもらわないとわからない。でもおそらく、今日に至るまで、その「いろいろと」に含まれる要素のうち、何一つ自分はしっかりできていないんだと思う。
すまない。
だが、まあこんなことで潰れたくない。そんなのむかつくから。
面倒臭いという感情をバネに生きる
自分は昔から「じいさんくさい」と言われるような人間で、あまり動きたくなく、活動的ではない人間だ。
基本的にやる気がない。たまにおもしろいと思ったことには物凄いエネルギーを発揮して集中するが、大体ボーッとしている。
そうは言ってもボーッとしているだけでは生きていけないので、仕方なく動く時もある。
そんな自分が友達に出会って、起業を目指している。昔の自分では到底考えられない。なぜなら自分はお金も興味がないし、できることなら動かずに生きていきたいからだ。
起業なんて「動かないこと」の対極にあるものだと思う。
でも起業は必ずしもバリバリ動く人御用達というわけでもなさそうだ、ということに最近気づいた。
例えば、今回友達と起業した場合、同じ職場の人間は友達のみである。これは職場の人間環境としては申し分ない。
また勤務体系もベストだ。自分はスーパーフレックス制などとふざけて言っているが、基本的に細かい勤務時間は決めていない。集まれる時に集まり、動きたい時に動いている。
やっていることは自宅でもできるので、帰宅後もやっているが、人から強制されているわけではないので、地味な作業であっても比較的楽しんでやっている。
自分達で起業すると、全てが自分達次第なのだ。もちろん失敗したら全部自分達のせいになるが、それでも環境を自分達で設定できるのは嬉しい。正直、働いているという感覚がない。
一見、働いているという感覚がないと、遊びみたいで駄目なんじゃないかと思われそうだが、できれば今後、働いているという感覚がない状態で稼げるようにしたいと考えている。働いているという感覚がなければ、ゲームをやっている時みたいにずっと作業できるからだ。
「好きなことで生きていく」という言葉を初めて聞いた時、「何を甘っちょろいことを」と思ったが、今考えると、好きなことで生きていけるのが最強なんだろうな、と思う。無限に作業できる人が負けるわけがない。
昔、サークルの後輩に「先輩は就職せず起業とかしそうです」と言われたことがある。まさか自分が面倒臭そうな起業をするとは思っていなかったので「そんなことはないよ」と答えた。
でも後輩は既に自分の本質を見抜いていたのかもしれない。何もかも面倒臭いと感じる人間だからこそ、最も面倒臭さを最小化できる方向へ向かうんじゃないかと。
祖父の意識が遠のき、時間の猶予が生まれた
前回、ブログを更新した時はまだ話せた祖父。その二日後、再びお見舞いに行ってみたら、もうずっと寝たままで起きなくなっていた。
次第に死期が近づいている様子だ。何も話さない、寝るだけの祖父を最初に見た時は驚いたが、何度もお見舞いに行くにつれて、段々と慣れてきてしまい、特に何も思わなくなってしまった。
人間、最期はこんなふうなんだ、と思い、祖父よりも自分の疲れに意識が向かうようになっていた。
祖父の意識が遠のいてから、親戚がちらほらお見舞いに来た。最初こそ祖父の姿に驚くも、祖父に声をかけ、親戚同士で昔話に花を咲かせて帰っていく。
最近になって、祖父が突然死ななくてよかったと思うようになってきた。ゆっくりと死に近づいていく、これによって生まれた時間の猶予で、皆が助けられている。
式場の準備、遺影をどうするか、誰を呼ぶか、そういった物理的なものだけでなく、覚悟といった精神的なものを整える時間ができた。
今になって思うのは、祖父が話せるうちに祖父の話を聞いてよかったということ。あまり自分の方からは話さなかった。何を話せばよいのかわからなかったのだ。
でも特に話さなくてよかったと思う。自分が死ぬ間際だったら、生きている人間の話を聞くよりも、自分が気に留めている重要なことを話す方にエネルギーを使いたい。
祖父も全部話して満足したのだろう。
残りの学費を1ヶ月で稼げるのか、というか稼ぐしかない
親から言い渡された。休学に伴い、実質留年することになったわけだが、プラスでかかる学費を1ヶ月で稼がないといけない。
その額、10万円。
本当はもうちょっと少なくてもいいと思うが、念のため目標額は10万円にしておく。
1ヶ月で10万円稼ぐとなると、すぐに思いついたのはアルバイトだったが、これでは今月にお金が手に入らない(日給のアルバイトなら違うのかも?)。
他の手段を考える。
昔ハマっていた漫画などの書籍が大量にある。
小説やビジネス書とかはあまり価値がつかなそうだが、漫画はそこそこ良い値段になりそうだ。
あとはゲーム。PS4は相場だと2万円くらいで売れるらしい。これは大きい。ゲームに時間を取られるのももったいないし売ってしまうのもいいかもしれない。
それから通帳に微妙にお金が入っていたので、それも使っていく。
書籍なんかはメルカリで売るのが良いのだろうか。ただ発送に結構手間取りそうだ。
配送手数料は商品の代金に組み込むことで、どうにかなりそうだが。
普通の買取ショップで売るのか、メルカリで売るのか、その差を考えていきたい。
それでも足りなかった時の最終手段としては祖母に雇ってもらうことだろうか。
今、病院通いでなかなか大変な祖母に雇ってもらう。自分にできることは車の運転、力仕事、このくらいだろうか。
去年、就活を始めてから今に至るまで、ずっと危機ばっかりだ。
これもまた修行か。まあ、この程度潰れないけども。
やってやるぞ〜!
祖父のお見舞い
今日、入院中の祖父のお見舞いに行ってきた。
随分前から入退院を繰り返していたが、今回の入院では結構な山場を迎えている。もしかしたらもう退院することもないかもしれない。医者の説明だとそんな感じだ。
「年齢も年齢だから」と思っていた。「80過ぎているんだから仕方ない」と。
でも実際に会ってみると衝撃的だった。
ちょっと前までは滑舌が悪いなりにも聞き取れていた声がもうほとんど聞き取れない。最初の音だけ聞こえたら、あとは息が漏れ出ているだけ。
一応紙に書いてもらってコミュニケーションは取れるものの、書かれている文字は全てカタカナ。
それはボケているからとかではなく、単純に一番楽な書き方なのだろう。
「人って、こんな急速に衰えるんだ」
率直にそう思って、そして自分もいつのまにかそうなるんだろうと思うと、目が潤んでしまった。
元々祖父は膠原病で、それは死ぬ病気ではないが、その病気にかかったことで、精神的に参ってしまったようだった。
外も出歩くことはなくなり、家に引きこもって、家でテレビを見ている生活だった。それでも言葉ははっきりと話していたし、ご飯も一人で食べていたし、家の中で歩き回ったりなどして運動もできていた。
それが10数年くらい続いたと思う。自分としてはよくある老人くらいにしか思っていなかった。
ある日、祖父は家で転んだ。眠れないということから睡眠薬を飲んでいたが、それを飲むと体がフラフラするのだ。
すぐにベッドに行ってしまえばいいものの、家の中で少しうろちょろする癖があった。そんな時に転んでしまった。
最初は何ということはなかったように見えたが、老人は転ぶ度に老いていくのだと思った。祖父はその後も何度か転び(睡眠薬を飲んでいなくても体力の低下により転んでしまう機会が増えてしまった)、体が斜めになってしまった。
もう背筋はまっすぐにならない。
体が斜めっているから、重力によって、顔が片方に寄るようになった。
自分としては「結構衰えたなあ」とは思ったが、「まあそんなもんだろう」くらいにしか受け止めていなかった。
そんな祖父に今日会って驚いたのが、その衰え具合だ。人間は一度衰え始めると、最初は何ともないように見えるが、加速度的に衰えていく。
斜面を下る鉄球のように、最初はそんなに速くないのだ。しかし、その鉄球はどんどん速くなり、もうどうすることもできなくなる。
ちょっと前に入院したばかりで、その時はまだ話せたのに、今はもう死を覚悟している。いや以前から、電卓で余命を計算していたりとかしていたが、本人も現実味を帯びてきていると感じているのだろう。
祖母も参っているようだった。弱る祖父を見て、死が近いことを認識してはいるが、受け入れられないという感じ。
自分に「どうしよう」みたいなことを言ってきたが、どうすることもできない。何かにすがりたくて仕方ないのだ。
しかし、すがってもどうしようもない。受け入れるしかない。自分の中に強い思想を持って戦うしかない。自分はそう伝えた。
宗教も、誰かに頼るのも、それは一つの解決策として有りだと思う。それは個人の自由だ。実際、弱り切った祖父を見て、宗教が広がるのもすごくわかった。
でも自分は精神的なものにおいて、絶対に他のものに頼りたくない。頼ったものが消えるかもしれない、頼ったものが幻想かもしれない、そう思うと頼れない。
自分を強くしてそれで乗り越えたい。周りがどうなろうと自分がいれば、絶対に乗り越えられる、そういう自信と実績を持ちたいのだ。
とは言っても祖母は駄目かもしれない。もしかしたら今度猫を飼うかもしれないから、猫に癒されたら祖母も気持ち的にいい方向に向かっていけるのかなと思う。
弱る祖父を見て、自分が一番強く思ったこと。よく言われることだけど、後悔する人生を送りたくない、ということだった。
自分のやりたいことを突き詰めたい。実現したいことを実現したい。
そのためには体がしっかり動く時に動かなければならない。いいように他人に時間を使われたくないと思った。
あと、最後に祖父が言っていたこと。
「皆仲良くしてね」「ありがとう」「いろいろと任せた」
自分としてはもっと巨大な哲学を語られるものかと思っていた。人生の集大成のような。
でも最期が近くなると出てくる答えは意外とシンプルなのかもしれない。
昔生まれた意味がどうだとか、細かく複雑に考えていた。結局わかったようで、よくわからなかったけども。それは変に難しく考え過ぎていたからかも。
人生はもっとシンプルだ。そんな気がする。
それにしても、いざ面と向かうと言葉が出てこない。何を話すべきなのか、何を話したいのか、わからない。
ただ黙って祖父の言うことを聞くだけでも十分なのだろうか。同じ時間と空間を共有するだけでもいいんだろうか。
結構迷っている。